どうしてエリザベス女王逝去後の追悼の儀式はエディンバラで最初に行われたの?エリザベス女王とエディンバラがあるスコットランドの関係は?

 

こんにちは。エディンバラのタコヤキです。

 

今日ふと思ったのですが、エリザベス女王逝去に関する最近の自分の記事を読んでくださった方々の中には、

 

「どうしてエリザベス女王の棺が、女王が亡くなった直後に、イギリスの首都であるロンドンに移送されなかったの?」

 

「どうしてロンドンでの国葬よりも先に、スコットランドのエディンバラで追悼の儀式 (service of thanks giving) が行われたの?」

 

「エリザベス女王追悼の儀式がスコットランドで最初に行われたってことは、エリザベス女王とスコットランドランドの関係は深いの?」

 

などを疑問に思われた方もいらっしゃると思います。

 

エリザベス女王逝去に関する過去の記事は下のリンクからもアクセスできます。

 

エリザベス女王お別れの行列で大失態をやらかして自分を呪う…

 

エリザベス女王の棺を乗せた車が走り去った後に起きたこと

 

来週エディンバラでエリザベス女王にお別れを告げに行くつもりです

 

それなので今日の記事では、

 

どうしてエリザベス女王の追悼の儀式がエディンバラで最初に行われたのかについて、

 

そしてエリザベス女王とスコットランドの関係について、

 

自分の推測も少し交えて書きたいと思います。

 

1.エリザベス女王が逝去された場所

 

どうしてエリザベス女王の追悼の儀式がエディンバラで最初に行われたのか、先ず一番の理由は、エリザベス女王が亡くなった場所です。

 

エリザベス女王はスコットランドにあるバルモラル城でお亡くなりになったので、

 

“ユニコーン計画 (Operation Unicorn) “

 

という名前の、女王がスコットランドで逝去した時に備えて作成されていた計画が実行されることになったのです。

 

2.ユニコーン計画 (Operation Unicorn)

 

ユニコーン計画内には、

 

女王が亡くなった日からの、葬儀関連の日程が詳細に渡って記されています。

 

英語版のみになりますが、英高級紙ガーディアンにユニコーン計画についての記事が出ていましたので、ご参考までに下にリンクを貼っておきます。

 

https://www.theguardian.com/uk-news/2022/sep/08/operation-unicorn-plans-if-queen-dies-scotland

 

そしてその計画によると、

 

亡くなった3日後にエリザベス女王の棺をエディンバラのホリルードハウス宮殿に移送し、

 

その翌日に、ホリルードハウス宮殿からセント • ジャイルズ大聖堂まで、新国王を含む女王の家族が参列する “お別れの行列” を行い、

 

行列の後にセント • ジャイルズ大聖堂で追悼の儀式が行われ、

 

その儀式の後24時間はセント • ジャイルズ大聖堂が一般に開放され、一般の人がエリザベス女王の棺にお別れを告げることが出来る機会を設け、

 

その後、棺はロンドンに移送される

 

ということが明記されていたので、エリザベス女王のお別れの行列や追悼の儀式が、ロンドンに先駆けてエディンバラで行われた訳です。

 

それなので、もしエリザベス女王が、イングランドかウェールズ、または北アイルランドで亡くなっていた場合には、別の計画が遂行され、エディンバラでお別れの行列や追悼の儀式が行われることは無かったと思います。

 

3.エリザベス女王とスコットランド

 

スコットランドも、ロンドンの所在するイングランドやウェールズ、そして北アイルランドと同様に、エリザベス女王が統治していました。

 

そして、少し前の記事でも触れましたが、エリザベス女王はスコットランドをかなり気に入っておられたようです。

 

毎年夏は、お亡くなりになったバルモラル城で2、3ヶ月過ごされていましたし、今年も7月からバルモラル城で静養されていたようです。

 

ちなみにバルモラル城はイギリス王室 (Crown Estate) が所有しているものではなく、エリザベス女王がプライベートで個人として所有されていた私宅です。

 

4.”何故エリザベス女王はスコットランドをお気に入りだったのか” を推測出来るエピソード2つ

 

ここからは自分の推測になりますし少し長くなりますが、

 

エリザベス女王がスコットランドに特別な思い入れがあったのではないか、

 

と推測できるエピソードを2つ程イギリスの新聞、デイリーメールで見つけることが出来たので、紹介します。

 

2つともエリザベス女王のボディガードとして勤められた、リチャード • グリフィン氏とエリザベス女王のエピソードです。

 

1つ目は、エリザベス女王がグリフィン氏と二人でバルモラル城近辺をハイキングされた時のお話です。

 

エリザベス女王の外出にボディガードがたった一人しか付かないというのもビックリですが、バルモラル城というのはそれくらいのどかな場所にあるようです。

 

話を元に戻すと、女王とグリフィン氏は、そのハイキングの途中に二人のアメリカ人の観光客に遭遇されたのですが、

 

そのアメリカ人の観光客はエリザベス女王に気付かずに、会話の途中で女王に対して、

 

「エリザベス女王に会ったことはあるか?」

 

と大真面目に質問されたそうです。

 

その質問に対して女王は、ボディガードを指して、

 

「私はエリザベス女王に会ったことはないけど、この男性は仕事でエリザベス女王に頻繁に会いますよ。」

 

と答えたそうです。非常にユーモアのある回答です。

 

そしてなんと、その後そのアメリカ人観光客は、グリフィン氏と彼らの写真を撮るようにエリザベス女王に頼んだそうです。

 

それを女王は快く引き受け、そしてその後、グリフィン氏がアメリカ人観光客と女王が一緒に写った写真も撮ったとのことです。

 

結局そのアメリカ人観光客は最後までエリザベス女王に気づかなかったようですが、

 

アメリカに帰国後、エリザベス女王との写真を現像して友人などに見せた時に、一緒に写っているのがエリザベス女王であることを指摘されて驚いたはずで、エリザベス女王のユーモア溢れるお人柄を表している微笑ましいエピソードです。

 

そしてもう一つ、

 

御存知の方も多いかもしれませんが、エリザベス女王のお孫さんのお一人、ザラ • ティンダル王女は、2012年に開催されたロンドンオリンピックで乗馬のイギリス代表選手の一人として活躍されました。

 

夏のオリンピックだったので、エリザベス女王はバルモラル城で静養されている時期です。

 

しかし、ザラ王女の競技の日は、

 

「緊張しすぎるから、孫の競技は見てられない!」

 

とおっしゃって、ザラ王女が競技するのをテレビで観戦するのではなく、気を紛らすために、上のエピソードと同じボディガードのグリフィン氏とお二人で、バルモラル城近くの森にピクニックに行かれたとのことです。

 

ただやはり、ピクニックの最中にザラ王女の競技結果が気になって気になって仕方がなくなってしまったらしく、

 

グリフィン氏に、ザラ王女の結果がどうなったのか警備本部から聞いて欲しい、とお願いされたそうです。

 

そしてグリフィン氏が本部からザラ王女の競技結果を入手し、

 

ザラ王女のチームが大活躍されて銀メダルを獲得したことを伝えると、

 

エリザベス女王は喜びのあまりにその場ではしゃいで踊りまくっていたそうです。

 

エリザベス女王が、お孫さんを思う一人のお祖母様としての人間味が伝わってきますし、女王でも一般人のように緊張したり、喜んではしゃぐこともあるんだ、と親しみを感じるので、物凄く好きなエピソードです。

 

でも、万が一同じ森を散策している人がいて、エリザベス女王がはしゃいで踊っているのを見たら、ビックリして腰を抜かしちゃいそうですね。

 

英語版のみになりますが、この2つのエピソードが載っているイギリスの新聞、デイリー・メールの記事へのリンクを貼っておきます。

 

https://www.dailymail.co.uk/news/article-11193985/amp/Her-Majestys-humor-Queen-PRANKED-two-American-tourists.html

 

https://www.dailymail.co.uk/femail/article-11203675/amp/Richard-Griffin-reveals-Queen-did-dance-Zara-Tindall-won-Olympic-medal.html

 

そして上の2つのエピソードから自分が感じたのは、

 

スコットランドのバルモラル城で過ごされている時のエリザベス女王は、

 

イギリス王国連合の長であるという立場から少し開放され、

 

一人の人間としてありのままの自分に一番近い形でいることが出来たのではないか、

 

ということです。

 

さすがにロンドンやウィンザー近郊で、ボディガードの方と二人でピクニックに出かけるなんて、セキュリティ上の問題があって出来ないでしょうし、

 

常に “イギリスの女王” としての立場を強く意識して行動され、

 

96歳でお亡くなりになるまで現役の女王としてご活躍されていたので、”私” よりも “女王としてのお立場” を優先し、決して楽ではない道を歩まれて来られたことは明白です。

 

それなので、繰り返しになりますが、スコットランドではありのままの自分に一番近い形で生活を送ることが出来たので、スコットランドに特別な思い入れがあったのだろうと推測します。

 

5.フィリップ王配の称号

 

また、エリザベス女王の夫、フィリップ王配の称号はエディンバラ公爵(Duke of Edinburgh) でしたので、ここでもスコットランドと縁があります。

 

この称号は、エリザベス女王 (当時はエリザベス王女) とフィリップ王配が結婚する際に、エリザベス女王のお父様であるジョージ6世王によって与えられたものです。

 

という訳で、

 

どうしてエリザベス女王逝去後にロンドンに先駆けてエディンバラで追悼の儀式が行われたのか、

 

そして、

 

エリザベス女王とエディンバラのあるスコットランドとの関わり、

 

について記事にしてみましたが、いかがでしたか?

 

書き始めたら自分でもビックリするくらい長くなってしまいました。自分は、自分が思っていた以上にエリザベス女王の大ファンだったようです。

 

上にも書きましたように、エリザベス女王はスコットランドに特別な思い入れがあるはずなので、

 

逝去後にスコットランドの首都、エディンバラで最初の追悼の儀式が行われ、物凄い数の人が弔問に訪れたことを、きっと天国で大喜びされていると思います。

 

以上、「どうしてエリザベス女王逝去後の追悼の儀式はエディンバラで最初に行われたの?エリザベス女王とエディンバラがあるスコットランドの関係は?」でした。

 

最後まで記事を読んで下さってありがとうございます。

 

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それではまた次回のブログで。

 

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